【展示解説会】加曾利B式展①『加曾利B地点の発掘調査について』(加曾利貝塚)
加曾利貝塚博物館で開催している「加曾利B式展」に行ってきました。どうせ行くなら、ちゃんと解説をしてくれる日にということで、展示解説会へGO!
動画が長いので5分割で、興味深い点だけ文章にしてみてたんだけど、全部見る場合は動画でということで♪
Contents
加曾利B式土器とは?

加曾利B式土器とは、縄文時代後期中ごろに、関東地方を中心として流行した土器です。「加曾利B式」という名称は、大正13年(1924年)の調査で「B地点」とした調査区の調査成果にもとづいて名づけられました。
加曾利貝塚B地点の発掘調査について

左:加曾利E式土器・右:加曾利B式土器
加曾利貝塚で初めて行われた発掘調査は、明治40年(1907年)まで遡ります。当時の調査は、人骨や珍しい土器・石器を見つけることを目的としており、考古学的な調査と言えるものではありませんでした。その後、考古学的観点にもとづいた調査をする必要が広まり、特に重要とされたのが、土器の形や文様などの変化の過程をもとに時期を推察する型式学と、地層の上下関係から新旧を判断する層位学です。
大正13年(1924年)の東京帝国大学の人類学教室による調査でした。広大な遺跡の中にA・B・D・E地点という調査区を設定し調査を行ったところ、B地点とE地点からそれぞれ特徴の異なる土器が出土し、さらにB地点では、B地点の特徴的な土器の下層からE地点の特徴的な土器が出土したことで、土器の新旧関係が明らかになりました。これにより、時期によって異なる土器を作っていたことが証明され、縄文土器の研究が急速に発展することとなりました。

この時E地点から見つかった土器は「加曾利E式土器」、B地点から見つかった土器は「加曾利B式土器」と名づけられ、加曾利E式土器は縄文時代中期後半、加曾利B式土器は縄文時代後期中ごろから後半の、関東地方を中心に流行した土器として知られることになりました。

B地点とE地点の場所については、正確な場所は分かっていません。近年、大正13年の調査当時の記録類の調査や地中レーダー調査などの新しい技術を使った調査が行われたこともあり、E地点は北貝塚の東側(坂月川を望む東斜面)ではないかと考えられています。
